岡崎体育さんのFC新システムはソシャゲに近いから叩かれる。
2022/01/19
岡崎体育さんの新しいファンクラブのシステムに関して賛否集まっているようですね。
「ワイドナショー」でも取り上げられたこの問題に対して、今回は僕が思ったことを述べていきます。
ちなみに、僕も岡崎体育さんを応援している立場ですので、それを加味した上でご覧いただけるとありがたいです、それではいきます!
もくじ
岡崎体育さんのファンクラブの新システムと炎上の理由
そもそも叩かれている岡崎体育さんのファンクラブの新システムについてですが、これはファンの方が自身に使ってくれたお金や時間(Twitterなどで呟いてくれたなど)に応じてランク付けし、ランクに応じた+αの特典(握手や写真撮影)を付与するというものです。
海外ではテイラー・スウィフトさんなんかがやっているそうですが、日本では岡崎体育さんが初となるとご本人がおっしゃっていました。
これに対して消費者は「ファンに優劣をつけるな」「お金をもっていない小中学生などの消費者は置き去りか」などといった批判があがり、炎上する事件となってしまいました。
ワイドナショーでも西川貴教さんが言及
これについて、「ワイドナショー」でT.M.revolution西川貴教さんも「やはりアーティストとしては対価をいただけるから活動できるわけで、今は楽曲はタダ(広告)で提供しているようなものだから、その他の活動で対価を得るしかない」というようなことや、
「海外では普通に行われていることに対して叩かれるということがよくわからない、アーティストにも生活があるわけで、何もしなくても作品が勝手に出てくるわけではない」というような、アーティストの生の声をおっしゃっていました。そしてこれは
上記ブログ記事で岡崎体育さんも同じようなことを言っています。音楽で生計を立てることが現代ではいかに難しいかということがすごくよく分かる意見ですよね。
音楽は嗜好品。
大前提として音楽はタバコやお酒同様、嗜好品ですよね。好きな時間や好きな場所で好きなだけ聞くものです。この「好きな時間や好きな場所で好きなだけ聞く」という自由さこそ、嗜好品たる所以だと思います。
だからこそ「アーティストの活動はファンが対価を払って支援するもの」というビジネス的な関係が日本ではまだ受け入れづらく、それが今回の騒動になったのかなーと僕は思います。
でも好きなアーティストであっても、曲によって好き嫌いはありますし、アルバムのリリースに伴うツアーの場合、好きじゃないアルバムがセトリの大半を占めるようなら、今回のライブは別に行かなくてもいいかなーと思うこともありますよね。
岡崎体育さんのファンクラブ新システムはソシャゲに似ている。
「好きな時に好きな場所で好きなだけ」という自由さが嗜好品の特性なわけですが、岡崎体育さんの「+α」の特典の存在は、ファンからすれば「常に目の前に人参を吊り下げながら走らされる馬」のような心境といえるのではないでしょうか。
「もう少し頑張ればもっといい特典が得られる…」という感覚は、まるで昨今のソシャゲと同で、自分が興味のないイベントであっても、「スルーしたら周りと差がつくし、特典はできるだけほしい」と思うのは誰だってあると思います。
岡崎体育さんの言い分として「+αはあくまで+αであり、元々のサービスやコンテンツの質が落ちるわけではない」ということをおっしゃっていますが、結局「基本プレイは無料だけど、課金すればもっといいキャラが出るよ」ということと同じことだと僕は思います。
僕もよくソシャゲであまり興味がないけど、レアなキャラを召喚するためのアイテム欲しさに、嫌々期間限定のイベントをこなす時がありますが、「今回はちょっとなー…」と思う時であっても、特典を受けるための「ポイントを稼がなくてはいけない」と思う人も出てくるのではないでしょうか。
そうなってくると、一消費者である僕の意見としては、岡崎さんのファンクラブの制度は嗜好品特有の「自由さ」がすごく制限されてしまうような気がしました。
ファンのモチベーション問題
こちらの記事でも書きましたが、今回のファンクラブのシステムは、「純粋に応援したい」という内的なモチベーションを「特典を得るためにポイントを稼ぐ」という外的なモチベーションが阻害してしまう可能性もあると思います。
嗜好品としての自由さが損なわれ、ポイントを稼ぐことができずに特典を取り逃したと思った途端、本来好きだったファンが「もう疲れた」と内的なモチベーションすらなくなってしまうことも十分に考えられますよね。
実際ソシャゲをしている人は「ガチャが爆死した」とか「イベントのアイテムを取り逃した」というタイミングで引退してしまう人が多いように、自分の活動を報告するたびに「ポイントを稼がなくちゃ」という気持ちにかられることに疲れてしまう人も出てくるような気がしてなりません。
いっそ純粋な寄付にしてみては
キンコン西野さんが開発した「レターポット」がアーティストの救世主になりそうな予感
こちらの記事でも書きましたが、アーティストは自身が生計を立てるために「売れるもの」を作らなくてはならないのが現状です。
そのせいでどんなに名曲があったとしても、シングルやアルバムのリリースが重なればどんどん色あせていき、いよいよテレビ出演が決まった頃に一番の名曲を披露することができず、ファンとしても「あの曲やればいいのに…」と思うことも少なくないと思います。
今では「クラウドファンディング」によって資金を募ることもできますし、「tipmusic」などで投げ銭を受け取ることもできますが、これらも作品のリリースやPV撮影といった活動に対しての対価になってしまうため、いっそ純粋な寄付を募ってもいいのではないかと僕は思います。
ちょっとしたサプライズでいいのでは?
岡崎体育さんは、「自分の時間は限られていて、サービスの回数や個数も限定されるため、結果的にランダムに選民している」ということに対して、「どうせ選民するのであれば、自分にお金を多く使っている人を優先したい」という思いから、今回のシステムを採用するに至ったとおっしゃっています。
作り手として至極当然だと思いますが、やはり消費者からすれば、「年収1億円の人が出す1万円」と「年収300万円の人が出す1万円」には圧倒的な情熱の差があるわけで、新システムに関してもTwitter等で拡散するよりもお金のほうが結局ポイントが高いんじゃないの?と思ってしまいますよね。
ファンの熱量を完全に可視化することが難しいのではないかという懸念がある中で、結局お金が一番評価されるというシステムになるのであれば、ファンクラブの人の中からランダムで直接お礼に行くとか、ファンの間で都市伝説レベルで囁かれるサプライズをするぐらいで、ファンは十分うれしいのではないでしょうか。
アーティストと消費者の意識の違い
ここまで話をしてきて、僕は岡崎体育さんが思っていたことは、「スーパーとかの買い物の時についでに貯めているポイントカード」ぐらいの感覚だったにも関わらず、消費者には「ソシャゲの課金」に近い感覚に捉えられてしまったため、ここまでの騒ぎになってしまったと思います。
だからこそ岡崎体育さんは「え…なんで?」という戸惑いが隠しきれていなかったと思いますし、消費者は優劣がついてしまうことを懸念してしまったのではないでしょうか。
僕はアーティストの方が自分に対してお金を使ってくれている人に何か優先的にお礼をしたいと思う気持ちもわかりますし、それが差別のように聞こえてしまう消費者の気持ちも分かります。だからこそ非常に難しい問題だと感じます…。
感謝の気持ちをどう伝えるか。
音楽は嗜好品ですので、岡崎体育さんの今回の活動を含めて、それを受け入れるかどうかも結局個人の自由なわけです。
アーティストとしてはどのようにして感謝を伝えるかということを考えていて、岡崎体育さんは今回のような仕組みを考えたわけですが、これを露骨にビジネスモデルとして「いかに課金させるか」というような売り方になっていってほしくないなというが僕の考えであります。
と同時に、もう少しファンとアーティストがWin-Winになるような仕組みにできなかったかなぁという気持ちもありますが、僕自身はこれからも岡崎体育さんを応援していきたいです。
今回の件のみならず、「感情のピクセル」のパクリ騒動などでも感じましたが、岡崎体育さん自身が思っている方向性と、ファンが求めている岡崎体育さんのイメージが少し乖離しているのが気になりますが、最近メディア露出も多いので、これからも頑張っていただきたいと思います。
全ては歴史が判断しますから、自分を信じるしかないと僕は思います。今回もとりとめがなくなってしまったと感じますが、これにて失礼します。