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想像力の「飛翔」!?超大作「ゼノギアス」は○○と同じだから評価される

      2018/01/17

「ゼノブレイド2」発売にちなんでゼノギアスやりましたのでその感想。

巷では「ゼノブレイド2」でもちきりの昨今、僕は「ゼノギアス」をクリアしました。それがもうめちゃくちゃ面白かったので今こうして「ゼノギアス」の記事を書いているところです。

未完の大作「ゼノギアス」高橋哲哉監督が「ディスク2問題」にコメント。

その中でこちらの記事は「ディスク2問題」に触れ、ゼノギアスが未完の大作であるということをお話したのですが、今回もその続きのようなお話をさせていただきます笑

「ゼノギアス」語られていない「エピソード6」

最後までプレイした方ならわかると思いますが、「ゼノギアス」のゲームは「エピソード5」で終わりとなっています。

しかし、設定資料集によれば、「ゼノギアス」にはゲーム終了時点の「エピソード5」から続く「エピソード6」の存在が明らかにされています。

これがどんな話かというのはまったく今現在も公開されていないので知る佳しもありませんが、それもまた「ゼノギアス」を「未完の大作」たらしめる要素の一つですね。

「ゼノギアス」本編は主人公が搭乗するギア「ヴェルトール」同様、ブラックボックスが多すぎるが故に未完の大作といわれ、リメイクを望む声が多くあるわけですが、僕は「未完」だからこそより魅力的に見えるのではないかとも思いました。

ミロのヴィーナス

皆さんは「ミロのヴィーナス」という彫刻をご存知でしょうか。

一度は見たことがある人がほとんどなのでしょうが、ミロのヴィーナスという彫刻は現在両腕がありません。発見された段階ですでになかったらしいのですが、ミロのヴィーナスはこの両腕がないことにより、専門家から素人までがどのような両腕がついていたのかを想像するようになりました。

さらに昔は「色もついていた」という見解もあります。要は「両腕がないことにより想像力が書きたてられ、それがむしろ魅力になっている」ということなんです。

不完全だからこそ、それを想像力で補うという楽しみもあり、不完全だからこそ魅力的に見えるというのは、ゼノギアスにも言えるのではないでしょうか?

清岡卓行の名言

Wikipedia情報なのですが、作家であり詩人の「清岡卓行」という方は、ミロのヴィーナスについて以下のように語っているそうです。

一方、詩人・作家である清岡卓行は、第二評論集『手の変幻』に収録された『ミロのヴィーナス』の中で、ヴィーナスの両腕の不在のゆえに、そこには想像力による全体への飛翔(原文では「特殊から普遍へ」の飛翔とある)が可能なのだと述べている。

おいおい、「飛翔」だってよ!!!まさかここで「ゼノギアス」の音楽を担当された光田康典さんの楽曲の名前と同じワードが出てくるとは思いませんでした笑(シェバトで使われた別名アリスとゼプツェンもしくはチュチュのテーマと言われる楽曲が「飛翔」という曲名なんです)

ミロのヴィーナスに両腕がないことと、ゼノギアスのディスク2にほとんどRPGの要素がないこと、キスレヴのジークムント総統との直接的なやり取りが最後の最後までなかったこと、最後の雪原アジトにシタン先生の奥様であるユイさんがいなかったことは全く同じことで、そこにはそれらの要素が不在だからこそ、想像力による全体への飛翔が可能なわけなんですね。

ゼノギアスはミロのヴィーナスと同じだから評価される。

ということで、ゼノギアスはミロのヴィーナス同様、「不完全だからこそ、そこには無限の想像力が広がるので、受け手によってより作品が魅力的になる」ということだと思います。

たしかに僕自身リメイクされたらかなり嬉しいですが、超有名な漫画「ワンピース」のように1から10までの大ボリュームになることで発生するデメリット(「想像してた展開と違う!」とか「公式でその結末はひどい」など)を考慮すると、やはりかなり難しい気がします。

むしろ「ゼノシリーズ」の派生をたくさん作りながら「今回のシリーズはもしかしたらゼノギアスに繋がるのかも…。」と言った具合に、ユーザに対して餌をちらつかせるほうが売上的にはいいのかもしれません笑(もちろんそれをいつまでも続けていてはモノリスソフトの評価は下がる一方ですが)

というわけで、今回は「リメイクを熱望するのはいいけれど、ゼノギアスはもしかしたらこのままでもいいのかも」ということをお伝えできればという趣旨で書きました。

まだまだゼノギアスの魅力は語り尽くせないので、今後も続けて行けたらと思います!それでは!

 - ゲーム, ゼノギアス