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「ポリアモリー」という価値観を、僕は「かわいそう」だと思ってしまった。

   

「ポリアモリー」という言葉をご存知でしょうか?

Wikipediaでは

ノンモノガミー(排他的な一夫一妻制ではない関係)の一種。関係者全員の合意に基づき、多重的な性愛関係やロマンチックな関係を営むライフスタイル、またその関係性のことである。

Wikipediaではやっぱり小難しくなりますね笑

「ポリアモリー」とは「同時に複数の恋人がいても良いんじゃない?」という価値観のことのようです。そして上記に出てきた「モノガミー」というのはその対義語で、日本人であればごく普通の「恋人は一人が普通で、二人の恋人と同時に付き合うのはダメ」という価値観のことを指すようです。

Twitterで拝見したと記憶してますが、こういう価値観があるんだと思った時はすごく衝撃を受けました。ただそれと同時に僕はなぜかそういう価値観の人たちに同情してしまったのです。

今回はそのことについて記事にします。

一人の人を一生かけて愛せないのは「かわいそう」である。

まず真っ先に思ったことは、「一人の人を一生かけて愛せないのはかわいそう」という意味での同情です。

人生は有限です。その限られた時間の中で愛する人が複数いるということは、それぞれに自分の時間を分散することになり、結果として「一人の異性と深く愛し合う」という関係性に至れないのではないかと思いました。

「この人のためなら自分のすべてを捧げられる」「この人のためなら死んでもいい」

一対一が互いに全てを捧げると誓い合い築く関係性だからこそ行き着ける境地というものはあると思いますし、そしてそれは互いに「この人でなければいけない」と強く思えたからこそのことです。

モノガミーの考え方であっても、上記のように「愛し愛される」という関係性がいつまでも続く男女は多くはないかもしれませんし、ポリアモリーの価値観を肯定する人が「この人には自分の全てを捧げても良い」と思えるような人との出会いがあったかどうかでも僕の考えは揺らぎますが、

複数の人とお付き合いする時点で「自分の全て」は分散してしまうので、それほど強く誰か一人を想ったことがないというのであれば、それはやはり「かわいそう」であると思います。

あの人もあの人も好きって、まるで子供みたい

小さい子供はよく「○○ちゃんも好きで、○○ちゃんも好き」と言います。ポリアモリーの方々がおっしゃっているのは、まさにそういうことでなのではないでしょうか。

子供は確かに自由です。この「自由」というのは、「自分の欲求に対して自由」ということです。
それは大人が決めた法律などの小難しいたくさんのルールを知らないからこそですし、それをいい大人が振りかざすのはあまりにも独善的で痛々しいです。

自分の欲望のままに、相手を巻き込んで自分の良いように解釈するのは、子供のすることです。
そしてそれをお互い合意の上で付き合う「ポリアモリー」という考え方は、子供の頃の恋愛観から進歩していないように見えてなりません。

さらにそれを「ポリアモリー」という体のいい価値観を盾に主張するのですから、子供よりタチが悪いとさえ思ってしまいます。

だから尚更、「一人の人を本気で好きになって、愛したことがないんじゃないか」とも思ってしまいます。

「ポリアモリー」という生き方をする人に聞きたいこともある。

なんだか独断と偏見だけでめちゃくちゃにディスってしまったので、不快に思われた方もいらっしゃるかと思いますが、やはり僕は「ポリアモリー」という価値観に対して、同情と嫌悪感を覚えます。

それは僕自身がまだ「ポリアモリー」に対して深く理解していないということもあると思うので、今回この記事を書くにあたって疑問に思ったことも書いておきます。

これらがどう解消されているかによっては、僕の意見も大きく変わるので、僕からも積極的に「ポリアモリー」という生き方をされている人に絡んでいきたいです。

モノガミーの人との恋愛について

ポリアモリーな生き方をしている同士だけでその輪が広がるのであれば問題ないのでしょうが、時にはその輪の中にモノガミーな価値観を持つ人も巻き込むことがあるのではないでしょうか。

そんな時、ポリアモリーな人たちはどういう風に接するのでしょうか。

「違うの、これはポリアモリーという価値観で…」と説明して相手を納得させようとするのは、自分の欲求のままに、自分の都合の良い理屈を押し付けようとしているということに他ならないと思います。

それとは別の方法で、自分がポリアモリーとしての生き方を貫くのか、相手の価値観に擦り寄るのか、どう解決するのか気になるところです。

結局「恋に恋している」だけなのでは?

「好きな人が複数いる」というのは、単に「気が多い」だけなのではないかと思います。

だから「常にドキドキしていたい」という自分の欲望から「ポリアモリー…これや!」ということで、都合の良い生き方をしているだけなのではないかなーとも思ってしまうのです。

夫婦生活が退屈な主婦が不倫に走るパターンと一緒で、そうならないためにポリアモリーという生き方を提唱し始める。こういうことではないのでしょうか?

もしそれなら、自身の大麻利用を合法化するために、医療用大麻の導入を提唱している人と何ら変わりない気がするんですけどね笑

それとは違う、深い理由があることを願いたいです。

誘惑に負けているだけじゃない?

結婚していたとしても、「この人素敵だな」と思う人とお会いするタイミングは確かにあると思います。しかしそれを発展させるかどうかは自分自身です。

すでに恋人がいる段階でそれを発展させようと思う人は、「これをしてしまったら、恋人が悲しむ…」とか、「恋人を悲しませたくない」という自制心を働かせることができない人たちなだけなのではないかと思いました。

そうやって気持ちをセーブしたくないから、という理由はすでに自分勝手なだけですし、その誘惑に対して開き直れることができるから、ポリアモリーという生き方を選んでいるだけなのではないのか、お聞きしてみたいですね。

プライドと嫉妬心について

以前

友達や恋人など…嫉妬で自己嫌悪な時に見てほしい「無価値感」の話

こんな記事を書きましたが、ポリアモリーの方々は相手に新しい恋人が増えた時、「自分の存在意義が脅かされている」と嫉妬したりしないのでしょうか?

あるいは恋人が増えたときに「くそー、相手が増やしたんなら俺も増やすぞ、それでもいいのがポリアモリーだからね!」という気持ちで自分も恋人を増やしたことはないのでしょうか。

僕は嫉妬することに関しては人間らしいと思いますが、こういう「目には目を」的な報復をする人がいるのだとしたら、ポリアモリーという生き方がより都合のいい生き方であるということを裏付けてしまいますよね…。

これも実際どうなんでしょうか。気になります。

人はそれぞれで、価値観もそれぞれだけど…

人はみんな違って、価値観も人それぞれではあると思います。
それに一夫多妻制の国だってあるし、日本でも側室があった時代もあります。

ただ一人の人を愛し、そして愛されるということ、互いに膨大な時間を共に過ごし、お互いのために労力を費やして築いた関係性は時としてこの上ない幸せだと僕は思います。

僕も最近結婚することができましたが、ポリアモリーという生き方を「かわいそう」だと思うのは、それだけただ一人の人を愛して愛されている現状がとても幸せだからです。

人の幸せに分かりやすい尺度はありませんし、上記のような文章を書いておいてなんですが、自分とは違う価値観を理解したいとも思います。ただその生き方が自分の都合の良いような、自分勝手な生き方を正当化したいだけなのであれば、それは同情を禁じえません。

今回は「ポリアモリー」という話題をTwitterで拝見し、色々モヤモヤと考えてしまったので、とりとめのない文章になりましたが、皆さんはこういう生き方についてどう思われるのでしょうか…。

不快に思われた方は申し訳ありません!
ではこの辺で失礼します!

 

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