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「Mr.Children・桜井和寿が政治的発言をしない理由」がアーティストそのもの過ぎて泣ける件

      2018/06/24

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Mr.Childrenの桜井和寿が政治的発言をしない理由

↑こちらの記事を読んで、桜井さんの音楽に対する情熱がとても伝わってきたのと、この考えは音楽のみならず、「アーティスト」と分類される方々全ての人がこうあるべきである、と強く感じました。

本当は全て引用してしまいたいほどに記者の方のミスチル愛を感じるのですが、抜粋していきます。

自身が信頼されるようになった媒体以外でのメッセージは謙虚ではない

桜井さんは上記の記事(の引用の中)で

「ミュージシャンがライブ会場などでメッセージを発信することもあるが、彼らが信頼されてるのは音楽があってこそ。なのに自分自身が信頼されていると勘違いし、言葉を発信するのは謙虚ではない」

とおっしゃっています。
もう惚れ直すレベルの名言だと思いました。「音楽に誠実でいたい」と語る桜井さんならではの言葉のように思います。
ミュージシャンのみならず、今や多くの著名人がSNSで自分の主張をすることを多く見かけるようになりました。

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百田尚樹のトンデモツイート集

こういうことを恥ずかし気もなく行ってしまう人もいますが、全くもって「調子に乗っている」と思います。
トリコのゼブラなら真っ先に殺してます。

歌が武道(体術)でもあるからこそ気をつけたいこと。

こちらでも述べましたが、身に余る力を過信した振る舞いはとても器の小さな行為だと思います。
それを自覚した上で、その力を抑える精神力をもって、「自分はまだまだである」と自身の力も含めて律することこそ「道を究める」ということなわけですが、昨今の著名人は自身の知名度にかまけてちょっと社会的な発言をしてみたりする人が多い印象を受けます。

それだけ自身が得られた地位が何によってもたらされたものであるかを忘れて、自分自身の実力であると過信して、上記のような振る舞いをする様を見ると、正直がっかりしてしまいます。

その点桜井さんは本当に音楽に対して愚直で、熱心で、それでいてまだまだであるという姿勢が、上記の発言から伺えます。
身に余る力を強い精神で律することで、それを自らのものとしている感じがします。そんな桜井さんはきっと人間的にも素晴らしい人なのではないかと思います。

上記のような人たちには、今一度「何によって今があるのか」ということを考え直していただきたいですね。
とはいえ皆様高齢ですので、矯正するのは難しいというか、高齢だからこそその力を御しきれなくなっているのか・・・。

言葉以外で表現することの意味

上記の言葉ですが、おそらくこの言葉は、音楽のみならず、「表現する全ての人」に対して言えることだと思いました。

おそらくですが、現在の人類におけるもっとも便利で万能な表現方法は「言語」でしょう。それでも僕たちが日頃抱える感情などを的確に表現するには至らないと感じることが多いでしょうが、現状「言語」以上の表現はないように思います。

しかし、その中でも絵を描いたり、歌を歌ったり、映画を撮ったり、小説を書いたり。
別の手法による「表現」をしようとしている人はたくさんいますよね。
いわゆる「アーティスト」と呼ばれる人たちです。

僕自身の意見で申し訳ないのですが、僕は言語以外での表現活動をされている方は、「言語よりも自分を表現できるツールがあったから、それを用いて自身の感じることやメッセージなどを込めて作品にしている」と解釈していて、だからこそ僕は「直接的な言葉によるメッセージ以外の表現に言葉を使ってほしくない」と思います。

作品から「言語」による表現以上のことを視覚的に感じることができたりするときは、新しい表現の仕方に可能性を感じ、心の底から「すごい!」と感じ、高揚するのですが、作品が全て完成されたものでない以上、どうしても「これはどういう意味なのだろう?」と、アーティストの表現の意図が分からなくなるときがあります。

その時によくあるのが、「作品の説明」です。
僕は常々その説明に違和感を感じ、あまつさえ「ずるい」とも思っていました。

言葉では表現できないようなことを別の媒体を使って表現しようと試みたことが、言葉によって補足されてしまうと、良くも悪くもその言葉以上のことを作品からは感じられなくなってしまうことが多いのです。
「この作品からすごいメッセージ性を感じたのだけど、説明にはそのことに対して触れられていないから、もしかしたら解釈や見方が違うのかな・・・?」のようなモヤモヤ感が残ります。

作品に対して自分なりの解釈で「すっげー!」と思っていたのに、「その解釈全然違いますから」と言わんばかりに添えられた「作品の説明」のようなものを見た時のがっかり感といったらもう・・・。

これは作品と言葉が、互いの良さを潰しあっているように感じますし、結局言葉に頼ってしまっては、言葉以外に選んだ表現方法に対しても、言葉に対しても謙虚ではないと思います。

桜井さんの上記の言葉は、「信頼された表現方法以外でメッセージを発信するのは、自身が選んだその表現方法に対して謙虚ではない」という言い方にも見えて、全てのアーティストの方に「自分の作品を直接的な言葉で説明してしまうことの意味」を考えるいいきっかけになるのではと思いました。

自分が選んだ表現方法と向き合う

勝手に持論を展開してしまって、かなり横道に逸れてしまいましたが、結局は「言葉による直接的なメッセージ以外での表現をするのなら、言葉を使って表現(直接的な言葉で自分の考えや思いを伝えようと)せずに、作品を使って自分の全てを表現できるよう頑張ってほしい」ってことです。

そういうアーティスト自身も、その媒体での表現を模索している途中に僕が立ち会っているわけだから、ある程度仕方のないことなのかもしれないけれど、直接的な(言葉による)メッセージ以外で表現をしているなら、言葉による説明をしてほしくないと思います。
むしろそれ以上のことを伝えたいからこそ、言葉による表現から脱却しようとして、今に至るんじゃないの?とさえ思います。

言葉を使わずにどこまで表現できるかを、その作品と何度も向き合いながら試行錯誤していくことが謙虚な姿勢であるにもかかわらず、SNSやライブ等で直接的な言葉で訴えようとする表現者(アーティスト)は結構多い気がしますが、それは自身が選んだ表現方法に対して失礼だと思うし、「それなら作品なんていらないじゃん」て思ってしまいます。

そういった意味でこの記事では、桜井さんが本当に音楽だけでメッセージを発信し、自分の全てを音楽だけで伝えようとしているのがよく分かって、とても感動しました。
現在の地位になっても、音楽による表現方法に敬意と誠意を持って向き合えるその精神力は、人間的な器の大きさすら感じます。

どっかのジュリーとは大違いd・・・おっと誰か来たようだ。

「Twitterとかテレビで持論話すなら、音楽とかお笑いとか、小説とかやってんだからそっちでやれよ!」って思う著名人がすごく増えてきた時にとてもタイムリーな記事を拝見したため、とても感情的でとりとめのない文章となりましたが、今回はここまで!では!笑

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